DCコミックスに登場するバットマンの宿敵であり、屈指のヴィラン(悪役)誕生までを描くスリラー映画『ジョーカー』。
80年代ゴッサムシティを舞台に描かれています。
- R指定映画歴代興行収入1位(デッドプール越え)
- 10月4日に交際されてから動員数4週連続1位
- 世界興行収入900億円突破
- 金獅子賞受賞作品
世の中にジョーカー旋風を巻き起こした大ヒット映画です。
管理人Dスケも劇場に3回も観に行ってしまいました。。。
このヒット作映画『ジョーカー』について、岡田斗司夫の考察があまりにもおもしろかったので、ブログにまとめて書いてみました。
動画も張っておきますが、ちょっと長いのでパソコンで見ることをお勧めします。
もくじ
悪のインフルエンサー映画『ジョーカー』
インフルエンサーとはつまり、強い影響力を持った人のことです。
DCコミックスと言えば、ヒーローが悪を倒すかっこいいアクションシーンを描くのが通例。
しかし、今回のこのジョーカーに関しては全くの逆なのです。
むしろ「悪こそが世の中の正義である」みたいな主張を、主人公をジョーカーにすることで描いている逆転の作品なのです。
一人の社会的不適合者アーサー(後のジョーカー)の闇落ち物語なので。
これまでのバットマン作品との違い
ここで当ブログの『ジョーカー』に関する考察記事を読まない方がいい人がいます。
それは、“悪のカリスマとしてのジョーカーを見たい“と思っている人です。
『バットマン ダークナイト』に登場するヒースレジャーの演じたジョーカーを見たい人にとっては、的外れな作品であるということです。
コンセプトがまるで違います。
敵キャラをやっつけてスカッとするようなシーンはゼロ。
むしろドキュメンタリー映画に近く、見れば見るほど心がモヤモヤするようなストーリーになっています。
なぜならこの作品はヒーローズジャーニーではなく、悪のインフルエンサー映画なのです。
NHKのドキュメンタリー番組なんかでたまに見る、貧困への転落物(リストラや交通事故など)を見るときの感覚に近いです。
ド派手なアクションシーンもないし、今までの僕らの頭の中に埋め込まれてきたジョーカー像とは一線を化す内容になっているからです。
きちんと感情移入して観ることができれば、「このジョーカーの身に起こることは自分にも起こりえるかもしれない」と思います。
「それでもかまわない。全く違った別角度からのジョーカーも見てみたい」
というのであれば、むしろ一見の価値ある作品です。
映画.comで評価が二極化する理由
映画.comのレビューを見てみると分かるのですが、高評価と低評価の意見が2曲かしています。
5段階あるうちの、「4」とか「5」を付けている人は
「ホアキンの演技力すごい!」
「映画史に残る名作だ」
「他人事ではないなぁと思った」
みたいな意見が多いのですが、低評価の人を見てみると「1」とか「0.5」を付けているんですね。


「見て後悔した。」
全然感情移入できない。高評価な理由がわからない。精神的におかしなやつの話を延々とされるのはツライ。しかも、無理矢理なご都合主義でたまたま銃を貰って、たまたま駅のホームに人がいなくて、たまたま殺人が貧困層に英雄行為と称えられて、たまたまそのタイミングで市の予算が削減されて、たまたま披露した芸がテレビに取り上げられて、たまたまそれでテレビ出演を依頼されて、たまたまその時に母親が倒れて、たまたま逮捕後に救出されて。前評判なんてクソだと思った。この男があのjoker?彼女すら架空だし、架空の妄想がやばすぎて犯行計画立てられないだろ。高評価の方本当にそう思ってますか?バッドマンの敵役だからってフィルターかかってるでしょ。評価2でも高過ぎると思うわ。見て損した。いや、クソつまらないという話題を得られたからその分だけましかな。アメリカではピエロは独特の市民権を得てるけど、日本ではただの仮装。
★1つ

とても楽しみにして映画を見に行きました。なぜジョーカーが誕生したのか?バットマンが好きな人なら同じように思い、映画を見に行くでしょう。しかし残念な結果でした。あの程度の苦しみで、あそこまでの犯罪を犯すなんて・・・甘ったれてるとしか言えない!あの程度の不遇で犯罪を犯してたら、人類の3割くらいが犯罪者になる!寝るところも無く、食べるものも無く、死んでいく子供がいるのに、他人と自分を比べて、自分は恵まれてないなんて・・・上を見たらきりが無いし、下を見てもきりがない。世の中は不条理なもの。この映画を見て盛り上がってる人達、やばくないですか?アカデミー賞なんて声もあるようですが、とんでもない!映画好きな私に言わせれば、この程度の映画にアカデミー賞なんで、ありえない!アカデミー賞をバカにするな!と言いたい。この程度の映画が持て囃される世の中が心配です。
★0.5個
そこまでこき下ろすかなあ・・・と不思議だったのですが、疑問が解決しました。
低評価を付けている人たちは、『バットマン ダークナイト』に登場してきた悪のカリスマジョーカーが見たかったのではないでしょうか?
かっこいいジョーカーを見たいがために劇場に足を運ぶとガッカリしてしまうはずです。
だって今回のジョーカーには、かっこいいシーンなんて1つもありません。
まだ彼が悪のカリスマになる以前の話です。
むしろ、観ているこちらが目を背けたくなるようなイタいジョーカーの姿が描かれているくらいです。
つまり、悪の魅力に期待して映画を見るとガッカリしてしまうというわけです。
逆に言えば、僕のように社会から疎外感を感じている社会不適合者にはメチャクチャ刺さる映画です。
岡田斗司夫も「友達いない系の男には魂に来る映画ですよぉ(笑)」と言っているくらいなので。
映画.comのレビューページも張っているので、もしよかったら見てみてくださいね。
→映画.comに集まった980件以上のレビュー・感想・評価を見る
ジョーカーを100倍楽しむために見るべき作品
ジョーカーを100倍楽しむため。
そしてこの作品への理解度を高めるためには、次の2つの作品もぜひ見てください。
『タクシードライバー』
『キングオブコメディ』
そしてこの3つの作品は以下の順番で見ることをお勧めします。
①ジョーカー
②タクシードライバー
③キングオブコメディ
④もう一度ジョーカー
間にタクシードライバーとキングオブコメディを挟むことで、ジョーカーという映画への理解力が格段に高まります。
すでに1度見たことがある人は、その共通項の多さにたまげたことだと思います。
だって明らかにモデリングして作っているからです。
- 主人公が社会不適合者という設定
- 暴力の力でアイデンティティーを形成する姿勢
- 妄想癖
- ドラッグ依存
- コメディアンに憧れる主人公
というか各種ネットのメディアの口コミ通り、完全なオマージュですね。
同じ80年代のゴミだらけな荒れた都会という設定。
そして、上にあげた2作で主演を務める名俳優ロバート・デ・ニーロを起用している時点で間違いありません。
『ジョーカー』にロバート・デ・ニーロはコメディ番組の司会者マーレイ・フランクリン役として出演しています。
(映画の最後にTV番組の生放送中にジョーカーに撃ち殺されてしまう)
制作会社のワーナー・ブラザーズにはキャスト選びに嫌らしささえ感じます(笑)
簡単に解説すると、タクシードライバーは社会との接点を持たない男がテロを企てる話。
キングオブコメディは妄想と現実との区別がついていないコメディアンを目指す男の話です。
主人公アーサー(ジョーカー)演じるホアキン・フェニックス
https://www.instagram.com/p/B35kv2HD4r4/
ジョーカーに変貌していくアーサーを演じるのはホアキン・フェニックスです。
本名:Joaquin Rafael Phoenix(ホアキン・ラファエル・フェニックス)
生年月日:1974年10月28日(45歳)
出身地:プエルトリコ
身長:173cm
結婚相手:ルーニー・マーラー
【主な出演作品】
- 『ザ・マスター』
- 『ビューティフル・デイ』
- 『ジョーカー』
普段の彼は非常にがっちりした体形で男前なのですが、不気味な青年・ジョーカーを演じるために23㎏もの減量をして撮影に臨みました。
役作りに俳優魂を感じますね。
主人公アーサーは知能生涯持ちという設定です。
不気味な笑い方や、奇妙なダンスのシーン。
独特の走り方や奇怪な行動の数々。
『ジョーカー』はホアキンのアドリブによって作品の良さに磨きがかかっています。
社会のはみ出し者であり、障害持ち、闇落ちしていくジョーカーをどうやって演技していくのかを徹底的に考えてきた結果、数々の名演技が誕生しました。
階段をダンスしながら降りていくシーンはもちろん、狂ったアーサーが冷蔵庫の中に籠るシーンは見ものです。
いつ爆発するか分からないクレイジーなキャラ・ジョーカーを見事に演じてくれます。
主人公アーサー(ジョーカー)についての解説・考察
主人公アーサー(ジョーカー)は天才ではなく知能障害者として描かれています。
映画を観て感じたことは、
「学校のクラスに1人はいる、浮いているイタいヤツだなぁ」
と思いました。
知能障害のせいで、まともな職にも就けず、友達もいないのです。
(幼少期に母親の彼氏から受けた暴力が原因)
脳神経の障害で、笑いたくない時にも笑ってしまい、人々から気味悪がられています。
社会の誰からも関係を求められていないのです。
外を出歩けばいじめの対象にされ、アーサーから他者に関係を築こうとすれば煙たがられてしまいます。
ジョークのネタ帳は誤字脱字だらけ

福祉施設の精神科医からは、日々の日記をつけるように言われて持ち歩いていた1冊のノート。
アーサーはそれをコメディアンになるためのネタ帳として使っています。
ノートの文中ををよく見ると、誤字脱字だらけなんです。
今回の考察をしている岡田斗司夫は、
「これは脳に知能障害を持っている人の書く文章とそっくり」
と言っています。
ピエロになることはアーサーの本心ではない

ジョーカーのパンフレットの表紙の写真になります。
初見ではなかなか気づけないのですが、映画の一番冒頭。
開始10秒ほどのシーンで、アーサーはメイクをしながら泣いているんです。
これはアーサーの心の声を表したもので、
「本当は笑われるピエロではなくて、人々を笑わせるコメディアンになりたい」
という意味です。
我々日本人からするとピエロというのは、観客に笑いを届けるスターのようなイメージです。
しかし欧米では意味合いがちょっと違っています。
エンターテイナーであると同時に、みんなの笑い者なんです。
サーカスに登場するピエロを見ていると、よく白塗りと一緒に目元に涙マークのメイクをしていますよね?
涙マークの真の意味は、バカにされながら観客を笑わせているけど、心には悲しみの気持ちを持っているというこの表現なんです。
ジョーカーの笑いについての考察
笑いとは攻撃の裏返しである
笑いというのはポジティブな意味合いだけではなく、他者を攻撃する手段でもあります。
仲のいい恋人や友達同士でバカにし合う笑いもあれば、相手を貶してバカにする笑いもあるわけです。
例えばいじめの場合、いじめる側というのは攻撃を加えるときに楽しんで笑うものです。
いじめられる側も楽しいふりをして笑う(素振りを見せる)ことはあるのですが、心の底からの笑いではありません。
むしろ自分を守るために笑いでバリア的な場合が多い。
この映画のなかにおける笑いは人を楽しませるハッピーなものとしてではなく、人を陥れる差別的な側面も持って描かれています。
アーサーは障害者で知能が低く、誰からも関係を求められず、社会から抑圧されている存在です。(いじめられる側)
笑い病のため笑っているシーンもすべて彼の本心によるものではありません。
一方でジョーカーとなった”アーサーが精神病院で見せる笑いは、唯一の心からの笑いなんだ”と監督トッド・フィリップスも語っています。
つまりアーサーからジョーカー(社会をいじめる側)に回ることで、心の底から笑うことができたということです。
アーサーは笑いを生み出すためにピエロをやったり、コメディアンになろうとしました。
しかい知能障害を持ち、社会から必要とされていない彼がコメディアンになることは不可能。
劇中で自身の尊敬するマーレイからも、トークショーで笑いものにされてしまう始末。
”社会的な弱者ピエロ”である彼が自己のアデンティティを確立するための唯一の手段・・・
それはジョーカーとなること。
社会をいじめる側に回り、暴力という恐怖を持ってして人々から恐れられることだったのです。
ピエロのマスクをした人たちの正体

ピエロのマスクを被った人たち正体は、
アーサーと同じく実社会で必要とされてこなかった人々である
ピエロの仮面をかぶった集団の正体は、社会不適合者です。
アーサーほどではないにしても、学校や会社や友達や家族といった人間関係の輪の外に置かれているタイプの人が該当します。
証拠①:電車の中で誰も会話していない
証拠②:タクシーでに乗る3人組の1人だけピエロのマスク
電車の中にたくさん載っているピエロの仮面をかぶった人たちは誰1人として仲良く会話をしていません。
理由は孤独だからです。
車内に警官が入ってきて発砲したことによってはじめて、警官という共通の敵が生まれます。
ここで初めて結束して警官に集団で襲い掛かるのです。
またタクシーの後部座席に乗っているピエロのお面を被った人もそうです。
後部座席には3人いて、お面を被った1人だけが会話の輪の中に混じれずにいます。
学校や会社でもよくいますよね。
1人だけグループに溶け込めていない浮いた人間というのは。
つまりピエロの仮面をかぶったジョーカーの支持者というのは、実社会に自分の居場所がなく孤独な思いをしている人なのです。
ゴッサムの町がゴミだらけになって、ネズミが大量発生して、失業率が過去最悪になっても、
「お前らの出番はないから、引っ込んでいろ」
と呼ばれてきた人たちに当たります。
だから悪のカリスマジョーカーを見に来た人たちには不評でも、友達のいない系の男には刺さる映画なのです。
社会のレールに乗って成功している人や、リア充と呼ばれる人には本当の意味でこの作品の良さは分からないでしょう。
アメリカで警戒態勢が引かれた理由
映画公開直後から、映画館に警察や陸軍が出動して警戒態勢を起こさせる事態を引き起こした映画ジョーカー。
映画1つで大げさな・・・ともうかもしれませんが、事実です。
なぜならこの映画は、”ジョーカーはあなたの身の回りにいる”と言えるくらいリアルな作りをしているからです。
日本は村社会ということもあって、みんな一緒主義に従えない人を和の中に入れない雰囲気があります。
実はこの現象はアメリカにも存在します。
アメリカもパーティー社会なので、無口な人やコミュニケーション能力が低い人というのを無意識のうちに排除してしまう社会構造があります。
マジョリティ層は、自分たちがマイノリティを抑圧してきたという感覚を持っているということです。
アメリカの陸軍や警察の出動背景には、ピエロ側にいる人たちへの意識化されていない罪悪感がある証拠です。
今日まで目立った暴動やデモは起っていませんが、おもしろい社会現象が起こっていますね。
たかが映画1本なのに、ものすごい影響力です。
ラストシーン精神病院の謎を考察
ラストシーンに関しては、詳しく別記事で解説したいと思います。
ただこのラストシーンの考察の仕方によっては、これまでに全世界で上映されてきたバットマン映画作品やこ、こまでの考察をひっくり返してしまわざる負えないくらいのものです。
考察内容を簡単に書くと
- 「今回公開された映画の内容は、すべてアーサーの考えた妄想だったのではないか?」説
- 「歴代バットマン作品はすべてアーサーの考え出した妄想だったのではないか?」説
ということです。
この記事のまとめ
長くなりましたが、岡田斗司夫の『ジョーカー』考察のまとめをしたいと思います。
- ジョーカーは悪のインフルエンサー映画である
- これまでのバットマンで登場してきたジョーカーとは一線を画す
- タクシードライバーとキングオブコメディを合わせてみると理解力が深まる
- ホアキン・フェニックスの名演技が際立つ作品
- アーサーは天才ではなく知能障害者だった
- 笑いは攻撃の裏返し
- ジョーカーは社会的弱者の中から生まれた
- ジョーカーは身近なところに存在し得る
いかがだったでしょうか?
ネットにジョーカーに関する考察記事はたくさん上げらていますが、岡田斗司夫の考察が一番おもしろいなぁと個人的に感じたので、今回ブログでシェアさせていただきました。
長くなりましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました!
ただ暗く、惨めで、悲惨で弱者の生い立ちをずっと見ているのは、苦痛でした。
自分の人生を逆恨みして、社会の性にして反社会勢力に落ちて行くのは半歩譲って受け入れるが、頭キレッ切れのインテリジョーカーは何処に行ったんだぁー
★1つ